大東流合気柔術について

伝統を受け継ぐ技

大東流合気柔術は、徒手で敵を無力化して、投げ、倒し、押さえる古流の体術である。
更に殿中を血で汚すことなく、敵を制御する武術として研究大成されており、座技の多いのも特徴のひとつである。また、「合気」という概念をはじめて知らしめたのも大東流である。

大東流合気柔術の由来

大東流は代々清和源氏に伝わっていた武技を、11 世紀ごろ新羅三郎源義光が集大成したものとされている。
義光は家伝の武術に一段の研究工夫をこらし当時、戦場で死亡した兵士の屍体を解剖し、その骨格の組立を調べて逆極手の技を極め、さらに女郎蜘蛛が、その張り巡らした細い糸の巣網の上で、自分よりも大きな獲物と闘い、ついにがんじがらめに搦み取る手練の技に暗示を受け、また白拍子の舞に示唆を得て、苦心研究の末、合気の神髄を会得し、極意を極めたといわれている。

義光の子孫が甲斐の武田荘に住み、武田姓を名乗ってからは、武田家家伝の武芸として代々伝えられた。
天正二年(1574)、武田国継が会津に至り、この技法を会津に伝えた後は、会津藩御留技として、藩内のみに伝承された。 会津藩ではこれを藩の家老、重臣などの御敷居内の者(昇殿資格・御目見え資格のある者)に習得させた。

保科近悳(会津藩元家老西郷頼母)は、明治31 年武田惣角に「もはや剣の時代は去った。大東流合気柔術の秘法を後世に伝える者はお前より他に無い」と諭し、惣角は以後これをもって、全国を巡教し、その普及に努めた。

技法

技は武家時代のあらゆる攻守を想定して組み立てられており、彼我の態勢からみれば、座り技、立ち技、半座半立、後技などに区分され、その技法も投げ技・倒し技・固め技・武器捕り・多人数捕りのように、さまざまな技法が残されており、技の総数は2,884 手にのぼるといわれている。

また、これらの技は、体格・年齢・性別に関係なく、又非力な者でも使うことができるように工夫されており、心気呼吸をはかって制する合気技と、関節の順逆を利用して投げ固める関節技、生理的弱点を攻める急所技などがあり、その全体に通ずる極意として合気がある。

体捌きは、剣技を基本とする端麗なものであり、小具足の名残りを留めた素肌武芸の精華である。

稽古

稽古は型稽古が中心で、近代化されたスポーツのような競技形態はとらない。
これも古武道としての特徴である。
型の稽古を通して、技や筋を練り、合気柔術の体づくりから始める。型といえども常に真剣をもって敵に相対する気持ちで少しの油断もなく、一呼吸といえどもおろそかにせず、基本に従い、理に即して、伸び伸びと大きな動作をを心がける。
習熟するに従って無駄な動きがなくなり、型の域を超えて、自由自在な応用変化が可能となるのである。

修行

大東流合気柔術を稽古する者は、精神の修養と身体の鍛錬が第一の目的であるが、あくまでも精神を根本とする心の技を追求するものである。いかに技法が巧妙をきわめても、精神的運用が伴わなければ武道の奥義に達することはできない。先達の残された型・技を正しく理解伝承し心身を強健にして、各人が社会人として信頼され、社会に貢献することのできる立派な人間に成長することが修行である。

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